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工事の傷跡が残ってしまい

住宅に関していえば

東京都の木造住宅結局、南向きの家ができたり、北向きの家ができたりすると、南向きの家ばかり売れていくということになってしまうのが日本の現実でしょうから。家よりもまず、頭の方から作り直す必要があるんです。
『書斎の造りかた』でも言ったように、北向きの家だったら庭がすごくきれいに見えるから、庭を楽しむなら北向きの家を買うにかぎるのだけれど、この道理が理解されない。なぜかというと、都市に住んでいても、本来その脳みその構造が農民だからです。農民は日当たりが悪ければ死活問題だから、どうしたってそういうところにこだわる。が、そのこだわりは都市住民の意識としてはいかがなものかと、思わざるを得ないこういう考え方は、そろそろ清算したほうがいいと、私は強く思います。
ヨーロッパ全体で見るとどうかということですが、私の観察するところでは、イギリス式の寄り合い庭のごとき、合理的な考え方というのは、やはり独特なものだと思います。
部屋の中にあるものなのでハシゴで昇り降
間取りや動線を気にするユーザーが増えたため家族がよく屋根に上ってご飯を食べている

家庭において家族の生活スタイルにあわ

部屋が一体になった空中テラスができあ

いろいろな国を見て回りましたが、こういうシステムになっているところはあまり見当たらない。
イギリス人は、狭い国土の中で、田園と都市を折り合わせて、合理的な住まい方を見つけ出すまでに長い時間をかけたわけですが、たぶん二十一世紀の日本人はイギリス人のたどった道を百年遅れで辿っていくのだと思います。
たどだからこそ、イギリスに学ぶことはたくさんある。合理的な家というものを個人の意識ではなく、ソサエティ全体としてとらえていくようなありようです。そうしていかないと土地はますます細切れになっていってやがてほんとうに破綻するバブルのときの地上げなんて、そのいい例です相続、相続を繰り返して、どんどん細切れになっていった土地を、地上げという方法でひとまとまりにしようとした。そこに政治や土建屋や行政屋が群らがってよってたかって人々から土地を取り上げたわけですね。
これを非合理といわずしてなんでありましょう。その間、いちばん損害を受けたのは誰かといえば、結局収奪された市民たちです。

工事中の欠陥を見極めるのは難しく

そうではありませんか。
そのことを、いま一度考えてみていただきたいということを言っておきましょう。

思い通りに暮らす

都市の典型はパリにあるもともと日本の社会は農村であった。家を考えるときのすべての出発点がここにあると私は思います。ところが、現在、ほとんどの人が都市に住むようになって、その結果として農村には過疎化が起こってきてしまっている。では、われわれははたして都市の住み方を弁えているのだろうかということから考えてみたいと思います。
わきま都市はどういうものかというと、その典型はパリにあります。パリは、ご存じのように、ナポレオン三世が整然たる都市計画の下に造り上げた近代都市で、そこでは統一された機能と「その機能に基づく景観」が第一義的に優先することになっています。
工事の傷跡が残ってしまい

家に予備のケーブル傘

都市生活というのは、原則的にアパルトマンに住むことで、そのため、庭がほしい、陽当たりがほしいといった個人的欲求、つまり農村的欲求は無視されました。その代わりに、日照を得られる場所や、庭のような役割を果たす共用地を町のあちこちに造る。パリには本当に小さな公園がたくさんあるし、ロンドンにもスクエアという名の小緑地が点在しています。これもパブリックなものを造ることによって、一人ひとりは庭とか日照とかを求めない。そういう考え方に基づいています。

美しい田園都市だった江戸ところが、日本では都市で暮らすという場合にも、農村的価値を持ち込むことにひたすら腐心しているフシがあります。
そもそも東京の前身である江戸は、徐々に発展してきました。
家に対する価値観のない日本人

施工上どうしても生じる

江戸城を中心として平仮名の「の」の字のようなかたちで外へ向かって
一番中心には江戸城があり、そのすぐ隣には位の高い御三家や譜代大名が住んでいて、その外側には外様大名や御家人が住む武家屋敷がある。その外周部には、神田や浅草といった下町があり、さらにその外には、東に葛飾田んぼ、酉に内藤新宿といった具合に田園地帯が広がっている。やや西北の方に行くと、染井村のような園芸農場があり、南のほうに行けば、品川から向こうは全部田畑になる。このような構造になっていました。
江戸時代の地図を見ると、江戸の町の大半を占めていたのは、大名や御家人たちの住む武家屋敷です。敷地面積から言えば、おそらく九割以上を占めていたでしょう。現在でも、後楽園や六義園というような大名屋敷の庭が、わずかに残っていますが、昔はそのような武家屋敷が見渡すかぎり並んで、それが整然と築地塀のよかつしかうなもので区画されていました。
美しい都市景観であったと思います。
住宅部分が不要となれば

マンションあるい

大きい(石高の高い大名は大きい屋敷を、中大名はそれなりの中ぐらいの屋敷を造り、大きい大名には上屋敷と下屋敷とがあって、たとえば上屋敷は麹町、下屋敷は白金という具合になっていたものでした。旗本や御家人は、それほど大きい家ではないけれど、大名の屋敷を矮小化したような家に住んでいた。
こうじまち武家屋敷とは、書院造りの大きな平屋の建物と、ゆったりとした庭で成り立っている立派な庭園邸宅です。
広い屋敷のどの部屋からも、庭が見えるようになっているので、汚くしておくことはできないから、完璧に造園整備されていました。
だから、当時の江戸は、この武家屋敷が建ち並び、がっていて、本当に美しかったにちがいない。

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