不動産プライベートリート投資法人

工事をスムーズにすすめるための環境作

家という一生に一度の買い物の投せっかくまた、作家の池沢夏樹さんも沖縄暮らしです。それぞれの、そこに住む理由というのは違うだろうけれど、たしかに沖縄に住むというのもひとつのチョイスだと私は思うまた、北海道や東北に住むという人もありますね。たとえば、劇作家の倉本聰さんは自然豊かな北海道の富良野に住んでいますし、吉幾三さんは青森に、そしてさとう宗幸さんは仙台に住んでいます。黒姫山にすんでいるC.W.ニコルさんという例もある。また軽井沢に住んで農業を営んでさえいる玉村豊男さんの生活も一つの理想に近い。そして、岡山の吉備高原都市には、著作家の紀田順一郎さんが移住しておられる彼らの生き方や暮らし方というものを見るにつけて、うものかと想像しています本当の贅沢とはこういうものか、終の住処とはああいもちろん日本中を探しても、良いことばかりという場所はありません。
夏涼しい北海道は冬は極寒だしクマがでるかもしれない。
といって、冬暖かい沖縄は夏はまた酷暑の上に反対に、悪いことばかりの場所というのもないから、それがこの世の道理というものです。
どこに住んでも、ブなんぞも住んでいる。
19で、裏と表がある、すべては長ただ、自分にとってどういう生活がしたいかなと思いをはせると、冬は暖房、夏は冷房のなかで過ごすという生活ではなく、できるだけ自然に近い静かな暮らしをしたい。たとえば、沖縄ならば、夏だけは冷房が必要ですが、秋から春は冷暖房なしでも暮らせます。あるいは八戸ならば、冬だけは暖房をしますが、春から秋は冷暖房なしでも暮らせます。
となると、私はどちらかといえば八戸で冬だけ暖房する暮らしをとりたいと思うこういう暮らしは、エコロジー時代の理にも一番適っているとも言えますね都会生活というのは、こういう観点からみると、どうもあまり褒められない。夏は冷房、冬は暖房のしどおそれが結局エネルギーの消費、ひいては地球環境の破壊にも繋がっていきますできるだけ都市には住まないということも、しになり、だから、長い目で見て、ということがあってよこれからは、まず選択の一つに加えるそれでも、もし都市に住むのならば、ここでぐっと思考法を変えて、まったく農村的でない暮らし方をに立てて、自分の生活を建て直すということが必要じゃないかと思います
古家が消えていく思えば、日本はなんでもスクラップ&ビルドでやってきました。
工事ではここまでの粗利はでません
工事をスムーズにすすめるための環境作特に沿道の建築物

住宅の出現を待ってい

特に沿道の建築物

東京は新陳代謝都市であって、いっときも立ち止まっていない。
つねに更新されていく結果、ほとんどの建物が三十年ともちません。中には五十年、七十年と持ちこたえる家もあるけれど、それは例外です。その建物が良いものか否かを問わず、ともかくどんどん古いものは潰して建て直すというのが我が国の文化なのですつまるところ、日本中だれもが、古い家には価値がないと思っています。木造建築の場合、三十年たつと完全に無価値なものになってしまって、不動産売買においては、家たるの資格さえ失い、上物という悲しい名で呼ばれて、もう家としてみなされなくなるのです。上物となれば、それはむしろマイナス資産であって、汚いものが上に乗っているけれど、その取り壊しの費用分だけ、土地代を安くしましょう、というメカニズムになっているわけです。
この考え方が、現在の日本人の、はたしてこれでいいのだろうか。
家についてのほぼ共通した意識であろうと思いますけれども、はたして、以前、広尾のお屋敷町の一等地にあるあります。
家で、屋敷を取り壊すに当たって、その古い家の撮影をしたことがそれは昭和の初めに、元侯爵家だった屋敷の跡地を、一区画三百坪ぐらいに分割して売り出したうちの一軒でした。当時の家ですから、天井もゆったりと高く、広々とした庭があり、実に堂々たる風格がありました。
和洋折衷のデザインも美しく、細工もしっかりしていて、建具なども七十年を経ても指一つで滑らかに動きそれはもう見事なものでした。
ありすがわけれども、地ですから、この家の当主が亡くなり、相続税がかかってきた。
三百坪といったら、どれほど莫大な額でしょうか。
有栖川記念公園近くの広尾何丁目なんて一等相続した御子息は、齢四十のサラリーマンで、若当主といえどもたんなる勤め人ですから、何億の相続税を払えと言われても払えるわけがない。

住宅部分が不要となれ

結局、南半分は不動産屋に売り、庭も全部潰して、固定資産税などを払うために三階建ての賃貸マンションを建てました。本人は、屋敷を全部壊して建て直して、もっと小さな家に住んでいます。
Yさんも、本当は建て直したくなかったそうです。
涙を飲んで壊さざるを得なかった。
父親が大切にしてきた、思い出の多い家だった。
けれど結局、現在の日本の税制では、どんなにいい家があっても、こうなってしまうのは避けられない。
イギリスだったら、相続税が事実上ないに等しいので、ずっと大切に住み継がれていったでしょう。
を考えておきたいのです。
これが、この違いもう、あの素晴らしい家の部材はみんな解体業者がゴミとして処理してしまった。指一本ですーっと開いた見事な指し物の建具は滅茶苦茶に壊されて、焼却場行きになってしまった。いまでも、あれを生かす方法はなかったのだろうかと悔しく思います。それは文化の破却です。惜しいことでした。

古家に住む贅沢たとえば、浜美枝さんは、箱根でたいへん立派なよい家に住んでおられます。いまでは有名な家だけれど浜さんが買われた時は、一戸の古い農家で、もうボロボロだったそうです。それを二十年かけて修復して、現在では、それこそ建築雑誌に必ず出てくるような、素晴らしい邸宅に建て直されました。その際使った資材はみんな古いものばかりだそうですさんの見事な建具も、壊してしまわなければ、こういったかたちで、うまく使われたはずです。
けれども、浜さんの家のような古民家も、いまではたいへん少なくなってきましたなだれ日本人のだれもが、都市へ都市へと雪崩を打って都市住民になりたがった結果、村では家に住む人がいなくなり、家を立ち腐れさせてしまったからです。つまり、過疎化の進行とともに、破屋が夥しく発生したときに、それをなんとか生かして使うというノウハウがまったく確立してこなかった。古いものは捨てて省みないという国民性がそうさせたのに違いないのです。思えばもったいないことをしました。
けれども、いままた、古い家の資材を求めている人々も増えてきている。私も、静かな人気のないところでぜひ古い家に住みたいという気持ちが強い。でも、実際は、どうやってそれを見つけ、どこへ行ってその古い家や部材を手に入れるのか、そういう流通や情報の発信受信がまだまだシステムとして十全には確立していまそのいっぽうで、膨大な数の古家が、ただもう立ち腐れるに任されている、それを考えると、われわれ日本せつしやくわん人はなんという無駄をしているのだろうと、切歯扼腕の思いに駆られますだから、古い家を、もっとシステマティックに再利用できるような制度や方法を構築していくべきだ、がこの二十一世紀という時代なのではないかと思っています。
それもっとも、田舎暮らしの本などという雑誌もあるくらいですから、もちろん片隅では既に行っている人たちもいることはいます。しかし、まだ供給としては、本当にわずかなものです。実際には立ち腐れていく家のほうがはるかに多い。立ち腐れた家は、復元するのはなかなかむずかしいので、立ち腐れる前に、古い^^ティークな部材として、再利用するためのシステムを、すぐにでも考えていく必要があると思いますこれは、同時に、新しく木を伐らなくて済む方策でもあるので、森林の保存や生態系の保護ということにももちろん役に立ちます。
住宅部分が不要となれば

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夏涼しい北海道は冬は極寒だしクマがでるかもしれない。
といって、冬暖かい沖縄は夏はまた酷暑の上に反対に、悪いことばかりの場所というのもないから、それがこの世の道理というものです。
どこに住んでも、ブなんぞも住んでいる。
19で、裏と表がある、すべては長ただ、自分にとってどういう生活がしたいかなと思いをはせると、冬は暖房、夏は冷房のなかで過ごすという生活ではなく、できるだけ自然に近い静かな暮らしをしたい。たとえば、沖縄ならば、夏だけは冷房が必要ですが、秋から春は冷暖房なしでも暮らせます。あるいは八戸ならば、冬だけは暖房をしますが、春から秋は冷暖房なしでも暮らせます。
となると、私はどちらかといえば八戸で冬だけ暖房する暮らしをとりたいと思うこういう暮らしは、エコロジー時代の理にも一番適っているとも言えますね都会生活というのは、こういう観点からみると、どうもあまり褒められない。夏は冷房、冬は暖房のしどおそれが結局エネルギーの消費、ひいては地球環境の破壊にも繋がっていきますできるだけ都市には住まないということも、しになり、だから、長い目で見て、ということがあってよこれからは、まず選択の一つに加えるそれでも、もし都市に住むのならば、ここでぐっと思考法を変えて、まったく農村的でない暮らし方をに立てて、自分の生活を建て直すということが必要じゃないかと思います
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建築会社を選ぶことができるはず

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東京は新陳代謝都市であって、いっときも立ち止まっていない。
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この考え方が、現在の日本人の、はたしてこれでいいのだろうか。
家についてのほぼ共通した意識であろうと思いますけれども、はたして、以前、広尾のお屋敷町の一等地にあるあります。
家で、屋敷を取り壊すに当たって、その古い家の撮影をしたことがそれは昭和の初めに、元侯爵家だった屋敷の跡地を、一区画三百坪ぐらいに分割して売り出したうちの一軒でした。当時の家ですから、天井もゆったりと高く、広々とした庭があり、実に堂々たる風格がありました。
和洋折衷のデザインも美しく、細工もしっかりしていて、建具なども七十年を経ても指一つで滑らかに動きそれはもう見事なものでした。
ありすがわけれども、地ですから、この家の当主が亡くなり、相続税がかかってきた。
三百坪といったら、どれほど莫大な額でしょうか。
有栖川記念公園近くの広尾何丁目なんて一等相続した御子息は、齢四十のサラリーマンで、若当主といえどもたんなる勤め人ですから、何億の相続税を払えと言われても払えるわけがない。
建築を作っていくパワーを感じ

住宅部分が不要となれ

結局、南半分は不動産屋に売り、庭も全部潰して、固定資産税などを払うために三階建ての賃貸マンションを建てました。本人は、屋敷を全部壊して建て直して、もっと小さな家に住んでいます。
Yさんも、本当は建て直したくなかったそうです。
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けれど結局、現在の日本の税制では、どんなにいい家があっても、こうなってしまうのは避けられない。
イギリスだったら、相続税が事実上ないに等しいので、ずっと大切に住み継がれていったでしょう。
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古家に住む贅沢たとえば、浜美枝さんは、箱根でたいへん立派なよい家に住んでおられます。いまでは有名な家だけれど浜さんが買われた時は、一戸の古い農家で、もうボロボロだったそうです。それを二十年かけて修復して、現在では、それこそ建築雑誌に必ず出てくるような、素晴らしい邸宅に建て直されました。その際使った資材はみんな古いものばかりだそうですさんの見事な建具も、壊してしまわなければ、こういったかたちで、うまく使われたはずです。
けれども、浜さんの家のような古民家も、いまではたいへん少なくなってきましたなだれ日本人のだれもが、都市へ都市へと雪崩を打って都市住民になりたがった結果、村では家に住む人がいなくなり、家を立ち腐れさせてしまったからです。つまり、過疎化の進行とともに、破屋が夥しく発生したときに、それをなんとか生かして使うというノウハウがまったく確立してこなかった。古いものは捨てて省みないという国民性がそうさせたのに違いないのです。思えばもったいないことをしました。
けれども、いままた、古い家の資材を求めている人々も増えてきている。私も、静かな人気のないところでぜひ古い家に住みたいという気持ちが強い。でも、実際は、どうやってそれを見つけ、どこへ行ってその古い家や部材を手に入れるのか、そういう流通や情報の発信受信がまだまだシステムとして十全には確立していまそのいっぽうで、膨大な数の古家が、ただもう立ち腐れるに任されている、それを考えると、われわれ日本せつしやくわん人はなんという無駄をしているのだろうと、切歯扼腕の思いに駆られますだから、古い家を、もっとシステマティックに再利用できるような制度や方法を構築していくべきだ、がこの二十一世紀という時代なのではないかと思っています。
それもっとも、田舎暮らしの本などという雑誌もあるくらいですから、もちろん片隅では既に行っている人たちもいることはいます。しかし、まだ供給としては、本当にわずかなものです。実際には立ち腐れていく家のほうがはるかに多い。立ち腐れた家は、復元するのはなかなかむずかしいので、立ち腐れる前に、古い^^ティークな部材として、再利用するためのシステムを、すぐにでも考えていく必要があると思いますこれは、同時に、新しく木を伐らなくて済む方策でもあるので、森林の保存や生態系の保護ということにももちろん役に立ちます。

暮らしは言葉に出来ましたでしょう

資産を残さなくていい

賃貸して収益が上げられ部屋を借りる実
道に沿ってずらりと家が並んでいるとすると、道に面して前庭forevardというものがあり、ちょっとした花壇や、駐車場になっています。それから、家があって、その家の背後、道からは見えないところに、細長く後庭backyardがある。この場合、道に対する位置関係はみなどこも同じで、道は東南北どっちの向きにも走っているわけですから、結局、家がどちら向きかというようなことは、意識の外にある。どの向きに建っても気にしないんですね。で、みなが同じように配置する結果、同じように家の裏側が庭になる。こうして、ずらりと細長い庭が並んで、全体としては、ひろびろとした緑のスペースが確保される仕組みです。そして、仮に反対側も同じように、住宅がならんでいるとしたら、道に挟まれた中間部分には、さらにさらに大きな庭空間ができる。これを私は寄り合い庭と勝手に名付けています。イギリスの住宅地が一見して緑豊かで美しく見えるのは、ひとつにはこういう寄り合い庭の智恵がものをいっているのでもあります。
しかるに日本であれば、みんな南側に庭をとるように家を建てる。そういう考えでは、これも図をご覧いだだければお分かりのように、庭空間は、ちまちました細切れになってしまって、絶対に庭が寄り合うなんてことはありません。
-まぎイギリスの家も、それぞれ細長く板塀で仕切られていますから一つの庭というわけではありません。でも寄り合い庭の空間が全体として大きいことのメリットで、寄り合い庭の真ん中あたりには、大きな木を植えることができます。だから、ロンドンの家の庭には雲を突くような大木がいっぱい生えているということになるし、それによって、日照の問題や、木の葉が落ちて迷惑だと言う人もいません。
これが、都市のなかへ田園を持ち込もうとしたイギリス的なあり方です日本だったら、一人ひとりが農家的な発想を都市にまで持ち込むために、皮肉なことに庭の空間が細切れになってしまってまとまらない。これは、家は必ず南向きで、というようなことを吾が仏尊しとして墨守しているからです。都市に住むのであれば、なにも南向きの家である必要なんかないのです。

賃貸して収益が上げられ部屋を借りる実

工事ではここまでの粗利はでませんそこを、ひとつぜひ発想の転換を促したい。
かくて、イギリス人は結果として大きな空間を留保することのほうを選びます。
そうすることによって、都市であっても結果的に田園的なものを移入できることになりますけれども、本当の田園都市とは、後ろ庭の向こうには、他人の家ではなくて、牧草地や畑、川や池といった風景があるところです。でも、それはロンドンの町中では具現化できない。できないなかでの智恵が、つまり大きな寄り合い庭であって、それによって、できるだけ田園に近い空間を造っていったのですそうすると、これによって、ひとつの森のようなものができる。すると、鳥が集まり、リスが生息し、キッネやタヌキまで出たりもする。自分の家にいながらにして、バードウォッチングも森林浴も楽しめる。芝生を植えたり、花壇をつくって、ガーデニングを施す。そうすると、町全体が、とても緑の美しい、風のさわやかな空間になってくる。
イギリスでは、とくに十九世紀以降、こういう都市のありようが定着したのでした。

土地の広さよりバックヤードの長さ平均的に家の敷地というのは二百坪くらいはあるのですが、イギリス人は不思議なことに土地の広さに関してほとんど意識がないし、まったく興味がない。
では家を買うとき何を気にするのかというと、奥行きが何ヤードあるか、つまりバックヤードの長さを気にします。
日本だったら、土地の広さばかり気にして、たとえば七十六、五二平米といった単位まで、いじましく計算するでしょう。しかも、できるだけ整った長方形をしている土地のほうが高いし、南向きの高台で雛壇であればなお高くなる。
ところがイギリス人は広さにはほとんど興味がないので、家の広告にも、バックヤードの奥行きは何ヤードとかって書いてあるけれど、敷地何平米という表記はふつうありません。あとは、部屋の総数やベッドルームの数が書いてあるだけで、それも、一つひとつの部屋の大きさについては触れないのが通例です。日本人からみると、そこはちょっと不思議ですが、思うに、彼らにしてみれば、部屋の機能によって、だいたいどの家でも、同じ広さだから、とくに変わった作りでないかぎり、とりたてて部屋の広さを表示するにも及ばないということなんでしょう。メインベッドルームは二十畳ぐらい、サブベッドルームは六畳か八畳ぐらいといった具合です。その他には、メインダイニングと、応接間であるレセプションがあって、高級な家になると、台所の隣にブレックファストルームもあります。
こうした標準の形も、イギリス人が長い間かかってこしらえてきたもっとも合理的な空間の使い方だと思います
事実上相続税がないイギリスしかも、イギリスという国は、事実上、相続税がありません。

 

工事の傷跡が残ってし

未亡人が一人残ったとしても、莫大な税金をずっと住んでいたいと思とられる恐れがないので、安心して住んでいられます。夫との思い出深いこの家に、えば、どうぞ住んでいてくださいと国が言ってくれるようなものです。
このように、イギリスのように私有財産が保障されている国で、家を持つことの意味は、子々孫々に伝えるためというより、自分がそこに住みたいだけ住んでいられるという安心感が得られるということなのです。
ところが、日本では、立派な家を造っても、親父が死んだら、法外に高い相続税を払うために、そこに住んでいられなくなってしまう。立派な家を建てれば建てるほどそういう悲劇が起こる。高齢化社会のためにといっていろんな政策が考えられていますが、まず住むところがなくなる、税吏が住民を追い立てるというような税制は、これから非常に大きな問題となってくると思います。住まい、それこそが社会福祉の根幹じゃないかと、私は声を大にして言いたい。
家を持つ、そして、自分が住みたいだけ安心してそこにいられる、それが当たり前なんです。だから、そのためには、すべての政策に優先して、いちばん重要なのは、相続税制度の大幅な見直し、さらに言えば原則的にこれを撤廃するということだと、私は思いますそうしないことには何を言ってもムダごとになってしまう。どんなに立派な家を建てても、いずれ相続税をかけられたら最後、壊すか、不動産屋に売るしかない。そういうことだったら家をどう建てるかなんて考えるのも空しいことになってしまう。さすれば、もうこんな本を書くのも読むのも無意味だってことになるでしょう価値の崩壊、デカダンスの世界です。人生の幸福と相反することですよイギリス人は市民社会として成熟するなかで、私有財産の保障については、保守党が完璧に保障するという政策をとっています。もし税金で巻き上げるという政策を掲げたとしたら、国民に猛反発を受けて、直ちに支持を失ってしまう。ゆえに税制に関しては、滅多なことはできない。
いま、労働党が勢いづいているのも、おそらく保守党がポールタックスという制度を施行したせいです。それは家一軒当たりの頭数で税金をかけるという人頭税ですが、評判が悪くて、実はほとんどの人が払ってない。いくら請求されても、払う理由がないと言って払わない。そのぐらいイギリスの市民というのは強い。
あたまかず
南向き幻想が日本を貧しくしていくイギリス的な思想を元に作られた住宅地が日本でもできないかなと、私は思うんですが、きっとできないんでしょうね。間取りにしておく方

住宅が目指す気密性
道に沿ってずらりと家が並んでいるとすると、道に面して前庭forevardというものがあり、ちょっとした花壇や、駐車場になっています。それから、家があって、その家の背後、道からは見えないところに、細長く後庭backyardがある。この場合、道に対する位置関係はみなどこも同じで、道は東南北どっちの向きにも走っているわけですから、結局、家がどちら向きかというようなことは、意識の外にある。どの向きに建っても気にしないんですね。で、みなが同じように配置する結果、同じように家の裏側が庭になる。こうして、ずらりと細長い庭が並んで、全体としては、ひろびろとした緑のスペースが確保される仕組みです。そして、仮に反対側も同じように、住宅がならんでいるとしたら、道に挟まれた中間部分には、さらにさらに大きな庭空間ができる。これを私は寄り合い庭と勝手に名付けています。イギリスの住宅地が一見して緑豊かで美しく見えるのは、ひとつにはこういう寄り合い庭の智恵がものをいっているのでもあります。
しかるに日本であれば、みんな南側に庭をとるように家を建てる。そういう考えでは、これも図をご覧いだだければお分かりのように、庭空間は、ちまちました細切れになってしまって、絶対に庭が寄り合うなんてことはありません。
-まぎイギリスの家も、それぞれ細長く板塀で仕切られていますから一つの庭というわけではありません。でも寄り合い庭の空間が全体として大きいことのメリットで、寄り合い庭の真ん中あたりには、大きな木を植えることができます。だから、ロンドンの家の庭には雲を突くような大木がいっぱい生えているということになるし、それによって、日照の問題や、木の葉が落ちて迷惑だと言う人もいません。
これが、都市のなかへ田園を持ち込もうとしたイギリス的なあり方です日本だったら、一人ひとりが農家的な発想を都市にまで持ち込むために、皮肉なことに庭の空間が細切れになってしまってまとまらない。これは、家は必ず南向きで、というようなことを吾が仏尊しとして墨守しているからです。都市に住むのであれば、なにも南向きの家である必要なんかないのです。

 

資産を残さなくていい

未亡人が一人残ったとしても、莫大な税金をずっと住んでいたいと思とられる恐れがないので、安心して住んでいられます。夫との思い出深いこの家に、えば、どうぞ住んでいてくださいと国が言ってくれるようなものです。
このように、イギリスのように私有財産が保障されている国で、家を持つことの意味は、子々孫々に伝えるためというより、自分がそこに住みたいだけ住んでいられるという安心感が得られるということなのです。
ところが、日本では、立派な家を造っても、親父が死んだら、法外に高い相続税を払うために、そこに住んでいられなくなってしまう。立派な家を建てれば建てるほどそういう悲劇が起こる。高齢化社会のためにといっていろんな政策が考えられていますが、まず住むところがなくなる、税吏が住民を追い立てるというような税制は、これから非常に大きな問題となってくると思います。住まい、それこそが社会福祉の根幹じゃないかと、私は声を大にして言いたい。
家を持つ、そして、自分が住みたいだけ安心してそこにいられる、それが当たり前なんです。だから、そのためには、すべての政策に優先して、いちばん重要なのは、相続税制度の大幅な見直し、さらに言えば原則的にこれを撤廃するということだと、私は思いますそうしないことには何を言ってもムダごとになってしまう。どんなに立派な家を建てても、いずれ相続税をかけられたら最後、壊すか、不動産屋に売るしかない。そういうことだったら家をどう建てるかなんて考えるのも空しいことになってしまう。さすれば、もうこんな本を書くのも読むのも無意味だってことになるでしょう価値の崩壊、デカダンスの世界です。人生の幸福と相反することですよイギリス人は市民社会として成熟するなかで、私有財産の保障については、保守党が完璧に保障するという政策をとっています。もし税金で巻き上げるという政策を掲げたとしたら、国民に猛反発を受けて、直ちに支持を失ってしまう。ゆえに税制に関しては、滅多なことはできない。
いま、労働党が勢いづいているのも、おそらく保守党がポールタックスという制度を施行したせいです。それは家一軒当たりの頭数で税金をかけるという人頭税ですが、評判が悪くて、実はほとんどの人が払ってない。いくら請求されても、払う理由がないと言って払わない。そのぐらいイギリスの市民というのは強い。
あたまかず
南向き幻想が日本を貧しくしていくイギリス的な思想を元に作られた住宅地が日本でもできないかなと、私は思うんですが、きっとできないんでしょうね。

工事の傷跡が残ってし

住宅部分が不要となればそこを、ひとつぜひ発想の転換を促したい。
かくて、イギリス人は結果として大きな空間を留保することのほうを選びます。
そうすることによって、都市であっても結果的に田園的なものを移入できることになりますけれども、本当の田園都市とは、後ろ庭の向こうには、他人の家ではなくて、牧草地や畑、川や池といった風景があるところです。でも、それはロンドンの町中では具現化できない。できないなかでの智恵が、つまり大きな寄り合い庭であって、それによって、できるだけ田園に近い空間を造っていったのですそうすると、これによって、ひとつの森のようなものができる。すると、鳥が集まり、リスが生息し、キッネやタヌキまで出たりもする。自分の家にいながらにして、バードウォッチングも森林浴も楽しめる。芝生を植えたり、花壇をつくって、ガーデニングを施す。そうすると、町全体が、とても緑の美しい、風のさわやかな空間になってくる。
イギリスでは、とくに十九世紀以降、こういう都市のありようが定着したのでした。

土地の広さよりバックヤードの長さ平均的に家の敷地というのは二百坪くらいはあるのですが、イギリス人は不思議なことに土地の広さに関してほとんど意識がないし、まったく興味がない。
では家を買うとき何を気にするのかというと、奥行きが何ヤードあるか、つまりバックヤードの長さを気にします。
日本だったら、土地の広さばかり気にして、たとえば七十六、五二平米といった単位まで、いじましく計算するでしょう。しかも、できるだけ整った長方形をしている土地のほうが高いし、南向きの高台で雛壇であればなお高くなる。
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こうした標準の形も、イギリス人が長い間かかってこしらえてきたもっとも合理的な空間の使い方だと思います
事実上相続税がないイギリスしかも、イギリスという国は、事実上、相続税がありません。